
| 1882年 (明治15年) |
東京銀座に日本初の電灯が灯される。 |
|---|---|
| 1899年 (明治32年) |
福井で初めての水力発電所が完成し、福井市に電灯が灯される。 |
| 1904年 (明治37年) |
伊藤仁作、日露戦争から勲八等の勲章を得て凱旋。 その後、お守りとしていただいた、九州太宰府の「土」と勲章を 福井市内の家作の長屋街に天満宮を建て、ご神体としました。 あわら市仏徳寺(仁作の郷里)には、現在も仁作が寄付した 鳥居と灯籠が残っています。(震災後改修されています。)
勲章写真
天満宮に納められていた物
仏徳寺鳥居 |
| 1908年 (明治41年) |
越前電気株式会社(後の北陸電力)設立。 |
| 1909年 (明治42年) |
伊藤仁作、福井市京町に伊藤電機商会設立。 福井県内はもとより、全国各所で発電所工事を請負いました。 発電所の造れそうな山や、川の流れを選定し、開発許可を取り、土地の有力者を説得して、電力会社を設立させ、工事を請負ったのです。 |
| 1921年 (大正10年) |
このころ福井県内では、電気会社16社、発電所22ヶ所にのぼる。 急激な電化には、絹織物業の手織から力織機の移行も背景にありました。 |
| 1926年 (大正15年 |
大正13年福井県越廼村に武周ヶ池を水源とする大味川発電所の建設が行われ、大正15年より送電が開始されました。
現在、唯一伊藤電機が関わった発電所跡として、確認できる場所です。 険しい山道を、人や牛馬によって資材を運んだ当時の苦労は並大抵ではなかったと思われます。 越前電気の施設で昭和47年まで稼働していました。
大味川発電所跡
伊藤電機の歴史の中で最も古い写真がこの1枚。
おそらく大正から昭和初期にかけて、若狭地方の何処かの工事をした際の写真のようです。 中央でハットをかぶり、オーバーを着ている人物が、仁作の弟、眞之凾であると思われます。
集合写真 |
| 1926年 (大正15年) 〜1930年 (昭和5年) |
おそらく、仁作最後の仕事と言ってよい事業が、千葉県房総半島に造った南総鉄道です。 鉄道敷設工事を請負い、5年の月日を要して茂原ー笠森寺間に開業しました。 |
| 1930年 (昭和5年) |
昭和大恐慌が進行する中、福井県下の電力会社の統合が進む。 |
| 1931年 (昭和6年) |
伊藤三代ニ、東京より福井に帰郷し、合名会社伊藤電機商会設立。 時は、昭和大恐慌の真っ只中。電機製品や電気関係部品を売り歩きました。 |
| 1945年 (昭和20年) |
7月19日 福井大空襲 |
| 1945年 (昭和20年) |
戦災後の市街地に人心安定の為に、早急に電灯をつけるように県知事からの要望があり、復員してきた旧社員をかり出して、電気工事を行っていました。 伊藤電機には幸い、疎開を予定して建ててあった倉庫があり、そこに諸材料がストックされていたのでした。 |
| 1948年 (昭和23年) |
6月28日 福井大震災 |
| 1948年 (昭和23年) |
震災復興写真
裏面 写真の裏には、誰の手によるものか、メモが書かれていて、震災復興への決意が見て取れます。 集合写真の後方では、既に社屋の建設が始まっている様子がうかがえます。 |
| 1949年 (昭和24年) |
震災より1年後、新社屋が完成し、三代ニを中心に、決意も新たにした社員の集合写真です。
社員集合 |

1931年(昭和6年)
当時の新聞に掲載された伊藤電機の「ラヂオ」の広告です。

1937年(昭和12年)
昭和初期の初荷風景です。

1948年(昭和23年)
福井震災直後の写真です。
エピソードの項にある写真の別アングルのようです。

1953年(昭和28年)
神明神社のお祭りの様子です。

1957年(昭和32年)
昭和30年代の初荷風景です。
昭和初期の写真と比べてみると面白いですよね。

1963年(昭和38年)
現在の本社ビル(地下1階 地上5階建て)の施工風景です。
某日本映画で東京タワーが出来上がっていく風景を彷彿とさせますね。

1965年(昭和40年)
伊藤三代ニと来福した際の松下幸之助氏の写真です。

1968年(昭和43年)
福井国体ハンドボール大会に視察に来られた天皇皇后両陛下を案内する伊藤仁和の写真です。